タイトル通り、ぼくは2020年11月をもってして、約5年半のポスドク人生に終わりを告げた。なのでこれにて一応、ぽすどく雑記帳は最終回なのである。2020年の年の瀬だ、ちょうどよかろう。
もっと色々書けたような気もするが、大抵の思うことは飲み会などで熱弁していい気分になって消化してしまうので、書く気にならないまま忘れてしまう。まぁ人生こんなもんだろう。意外なことに、日本の学会にひょいと顔を出すと、このブログ見てますよなんて方もいらっしゃったりして、非常にささやかながら日本の若手のキャリア育成に多少は貢献できていたのではなかろうか。研究者ではない人も読んでくれていたりして、共通するものがあるという。嬉しいですね。
タイトル通り、だ。僕は12月からドイツのとある大学にて、教授(Professor)になった。自然環境・土木工学分野でヨーロッパで教授になった日本人はかなりレアであろうし、日本ではほぼ必須であろう助教の段階(ドイツではJunior ProfessorやHabilitationあたりか)をスキップして、いきなりである。年齢的にも32歳は例外的に若いと雇う側に言われた。こういった面で、僕の成功体験は極めて貴重なケースだろうから、後世の若手研究者が海外進出を目指すときに少しでも参考になればと思い、書き記そう。ヒントがある。
まずは断言しておく。偉そうに言えることではないが、僕は研究者として持って然るべき「素晴らしい研究をする能力」は持ち合わせていない。研究業績も本当に大したものではない。はっきり言って、僕の研究能力は二流である。僕の上には一流と超一流がわんさかいる。英語もいまだに苦戦しているし、ドイツ語はからっきしだ。僕は日本人らしい謙遜なんて全くもってしていない。極めて冷静・客観的に見て、僕は二流なのだ。そして、僕の周りには三流以下の研究者もたくさんいることも認知している。望むらくは一流のセンスと才能を持ち合わせたかったが、こればっかりはしょうがない。センスがないのだ。
では、なぜ僕が競争の激しいアカデミアで、若干32歳で途中のランクを飛び級して教授になれたのか?
これは、タイトルに書いてある通りだ。
「負けに負けを重ねたから」
成功の秘訣は、これに尽きるのだ。
僕は、この職につくまで、10回別の職に応募して、全て失敗している。これまでに10本近くの主著論文を出してきたが、Rejectは平均2・3回はくらっている。基本的に、僕の研究歴は敗北の歴史である。
敗北を知りたい、という言葉などとは無縁だ。
とはいっても、単にてへぺろ、負けちゃったぁ(^^♪を繰り返していたのではない。
そう、サイヤ人だ。サイヤ人のように、全力で戦った結果無残にも敗北を喫し、苦汁を飲まされ、ちくしょうちくしょうと悔しがり、次こそは必ずと立ち上がり、成長したのだ。根性論ではない。以下の本質に気付いてしまったのだ。
以下の話は、職の応募に限らない。
人生全てにおける本質だ。
挑戦なくして成功はない。
しかし、挑戦するには自信がいる。
では、その自信はどこで手に入るか?
成功体験、である。
でも、成功するにはまず挑戦しなくてはいけない。
その初めのうちの、自信の無い挑戦はどうすればよいか?
これは根拠のない自信と共に、余計なプライドを捨てた上での挑戦をするしかないのだ。
もちろん挑戦をしたら、失敗もある。ただ、成功・失敗を分けるものは、究極的には確率論に過ぎないのである。挑戦というのは自分が操作できない不確定要素が大きすぎる。努力なんぞでどうこう出来ない部分が大きすぎる。
日本は特に、謙虚すぎて根拠のない自信を持とうとする人が少なすぎる。そして色々チャンスを逃している。これは意外や意外、ヨーロッパの研究者でも半分はこんな感じだ。
さも当たり前のことを言っているように聞こえるかもしれない。が、これを意識して行動するとしないでは雲泥の差が生まれる、と断言しよう。
失敗するかも・・なんて恐れる必要はない。それはサイコロが決める。なお、学びや準備はサイコロの出て欲しい目を少しでも出しやすくするための努力だと思ってほしい。結局全ては確率なのだが、当たる確率を上げることは多少なりともできるのだ。
本当に恐れるべきは、失敗から学ぼうとしないこと、挑戦をそもそもしないこと、だ。そんな人生はラクだ。挑戦しなければ失敗もしないから、怖くないだろう。ただ、挑戦もせず失敗もせず、学びも成功体験も積み重ねないでいると、自信はどんどん減っていく。自分の自信は目減りしていくのだ。周りの挑戦し続けている人たちに取り残される。そう、現金を持ち続けていると目減りしていくようなものだ。そうなると、いざという時に大きな挑戦が出来なくなる。自信がないから。本当に大きいチャンスを逃すだろう。これは絶対に避けたい、負のスパイラルである。
逆に言えば、本当にすべきことは、失敗はあくまで確率論だと割り切って積極的に挑戦すること。そして失敗したら失敗体験から学ぶこと。時折、成功したら成功体験は自分の自信につながるだろう。とにかく、かりそめの自信を持つことからでいい、挑戦の頻度を増やすことだ。挑戦の頻度を増やす、だ。そうすると、徐々に失敗から学び、成功の回数も増え、自信につながり、より大きな挑戦ができる。より大きな挑戦で失敗しても、きっとより質の高い学びが出来る。それを繰り返すのだ。上手く行きだすと、どんどん大きな挑戦ができ、どんどん大きな学びを得られ、どんどん大きな成功ができ、どんどん自信につながり、もっともっと大きな挑戦ができる・・・という成功の正のスパイラルに入る。
僕がポスドクをやってきて5年半の間は、成功の正のスパイラルに入ろうとし続けた挑戦の日々だったと思う。それが実を結んだ。それだけなのだ。結果はサイコロの目が良かっただけなのだ。本当にそう思っている。その挑戦は一人ではできない。周りの多くの人に支えられ、勇気づけられ、何度も立ち上がった。一人ではなかった。本当に感謝だ。
・・そんなに挑戦、挑戦で疲れないのか、と聞かれたこともある。そりゃあ疲れるよ。自分の才能が嫌になったことも何度もあったし、研究者を辞めることは常に頭の中にあった。でも時折、研究のアイデアがふと思い浮かんだ時や、1年近く考え続けていたことにある日突然答えがぱっと出てきた時なんかは、本当に興奮して眠れなくなった。脳内麻薬かなんかだろう。これが病みつきになり、消えかけていた情熱の炎にまた少しだけ薪をくべ、細々とつなげていった。
でも、本当にやりたいことで食べていくってのは、そんなものでしょう?辛いこと・やりたくないこと・挫折をたくさんたくさん繰り返して、それでも手放せないものでしょう?決してラクな道ではないよね。
そうやって、僕は挑戦し続けることで、徐々に学びを重ね、成功体験を重ね、自信を重ね、より大きいことに挑戦し、それを続けてきただけだ。学びは色々あった。僕は主に自分が二流であることに気付いてからどう立ち回るかを必死に模索した。本も色々読んだ。ストレスの解消法や、物事の本質の学びの多くは、良書を何度も読んで徐々に学んだ。そこで自分らしい戦略が試行錯誤のすえ徐々に固まってきたんだと思う。その2割くらいは、このブログの昔の記事で書き記してある。
きっとそのプロセスで学びは十人十色だろう。あなたが一流なら、もしくは三流なら、きっと違う気づきが得られるでしょうよ。分野が違えば、年齢が違えば、立場が違えば、きっと違う気づきを得るでしょう。学び続けるんだ。正直、たとえその学びの結末が「自分はこの分野に向いてないから、職をがらっと変える」でも全然構わないんだ(ちなみに、僕は30歳までにXXで出来なかったら研究者を辞める、という逆の目標・もとい締め切りを自分に課した。挑戦とは締め切りも必要だ)。
世の中、SNSなどがはびこる情報社会では、周りの人の成功体験や羨ましい話などばかりが目につくようになってしまった。それらがどれだけたくさんの失敗に支えられているかもわからない。その目につく他人の成功は単に運かもしれない。インスタントに他人の成功体験ばかり見ていても、決して自分の成功にはつながらない。嫉妬や焦り・みじめさといった負の感情ばかり噴出すると思う。特に自分の自信が十分に醸成していない段階では。僕もしょっちゅうそんな負の感情ばかりSNSで蓄えていたことを覚えている。
だからこそ、僕はこのぽすどく雑記帳の最後の記事に、僕の敗北の歴史を書き連ねたかったのかもしれない。
タイトル通りだ。
負けに負けを重ねて気付いたらドイツで教授になっていた件、
もとい
負けに負けを重ねて(そして懲りずに挑戦し続け、学びと成功体験を辛抱強く積み重ねていって)気付いたら(たまたま10回目の応募で通って)ドイツで教授になっていた件の話だ。
またいつかやる気になれば、こういった気づきの記事をどこかで書くことがあるかもしれないが、とりあえずはこれにて、ぽすどく雑記帳は終幕である。
コメントをお書きください
Kazu (水曜日, 07 9月 2022 18:17)
たまたま寄らせていただきました。
日本の大学で研究者やってますが、文章を読んで色々な気づきがありました。
ありがとうございました。