多様性のあるチームの致命的欠点

多様性が尊重される時代になってきました。LGBTなどのマイノリティや、働き方の多様性など。多様性を絶対的に良かれとする風潮です。多様性を否定すると、旧体質だのなんだのと叩かれるのではないでしょうか。働くチームでもそうです。多様性があったほうが、よいんだと。

 

そんな中、遠慮なく言っておきたい。

 

「過度の多様性はチームをだめにする」

 

これは、20カ国50人で形成されるチームで3年間働いて実感していることです。なにが致命的な問題なのか??

 

理想としては、チームの多様性が増えるほど、思いも寄らない多様なアイデアが生まれ、それらの相乗効果によって、一人あたりの貢献度が増し、ブレイクスルーが期待できるというものです。

 

現実。それは、ある程度の多様性まではその効果が期待できるけど、どこかで頭打ちし、その後多様性が増えるほど、一人あたりの貢献度は減り、むしろ全体のパフォーマンスは低下していく。伸び悩むといってもいいが、人を雇うコストを考えると、むしろ害悪であると断言します。

 

何が問題なのかというと、

 

1.チームが多様すぎる場合、チームの共通目標が容易に共有できなくなってしまう

2.多様すぎると、それらを集約する大きいアイデアが出てくる可能性が低くなる

3.結果、各自が好き勝手動き出し、連帯感が薄まる

4.さらには、連帯感が薄まることでボトムアップ的なチーム改善が期待できなくなる

 

という問題があります。

 

特に、ボトムアップ的な改善が期待できなくなるのは、チームとして終わってると思う。

これは、ボスからのトップダウン的なルールの押し付けが余計に必要になるということを意味し、多様性の良さが完全に封殺されます。

 

 

多様性が生きるのは、個々の能力と専門性が十分にあり、各自が自己実現と目標達成のために他を必要とする機会が多く、必要とされた人も利益を享受できる状況に限るのではないでしょうか。要は他の人も自立的な能力がないとだめです。

 

そうでない場合は、目標を共有できなくなり~という上に書いた負のルートへ進みます。