超一流学術誌であるNature, Science, PNAS...
研究者なら誰しもが一度は、それらへの論文掲載を夢見る(過去形の場合も…)んじゃないでしょうか。
僕も未だに狙っています。数回トライしてるけど、まだタッチダウンできてない。壁は高くそびえ立つ。まぁ時間の問題な気もしてるけど(2020年更新:結果2019年にScienceに第一著者として論文が掲載されました)。
こんな記事がありました→LINK。
「Natureなどの超一流学術誌に論文を通すには、これまでにNatureなどに論文を通した経験があるべきだ」
これは肌身でも感じていましたけど、傾向がここ最近でどんどん顕著になっているとのこと。どの研究者でも平等にチャンスがあるわけではなく、経験者はより出しやすく、未経験者はより出しにくく、という二極化が起きているわけですね。
記事では色々理由を推察していますが、ああそうよな、と思うのは、
共著で超一流に論文掲載するプロセスを一通り経験してみないと、結局の所、結果をどう売り込むか、その次元で査読者・エディターとどうやりとりするか、ってのが分からない、と。
結局、超一流の先生のもとで修行しないと、超一流にはなりえない(一部例外はあるのでしょうが)気がします。その点、今のボスは世界の最先端を突っ走っている人なので、非常に勉強になっている。売り方が上手い。攻め方も守り方もすごい。
僕らはよい研究を追求しすぎだ。よいセールスマンにならなくては。とも思います。
一度Natureとかに論文通すと、自分の認知度プレゼンスが上がり、後の論文も多くの人に読まれやすくなり、引用されやすくなり、査読も少し楽になってくる、、というポジティブループ。ここに入らないと、だめだ。
たぶん研究に限らずどの分野も同じだと思うわ。
さて、今日も売り方を考えますか。
(以下、2020年12月に追記)
結局、Scienceに論文を出すことが出来たわけです。めでたい。今読んでも、上の文章は間違っていないと思います。
現在、今年からは意識が変わっています。毎年1本はNature姉妹紙に論文を掲載するような研究者を目指そう、と考えています。出来るか出来ないかは別として、このような意識を持つと持たないでは、長期の研究者としての成長に雲泥の差が出ることは間違いないでしょう。
そもそも、良い結果が出たらNatureレベルに投稿しよう、なんて考えていると全然ダメです。本当に質の良い研究というのは、研究の計画段階でほぼ確定しており、常にNatureレベルの研究アイデアは自分の分野ならどういったことだろうか、という目線でアンテナを張らなくてはならないと言えます。ハーフマラソンしか経験してない人が、最近調子よいからマラソンに出てみちゃおうかな?と思うのは無謀ですよね。日々の練習段階で、すでにマラソンとはなにか?その完走のためにはどんな練習が必要か?というのを日々考えるのと一緒です。
特に、僕の意識が大きく変わったのは、つい最近まで5年間お世話になったボスが、2020年5・6本Nature姉妹紙・Science・PNASに論文を載せたという衝撃が元でした。当然これが毎年起きるわけではないでしょうが、こんなことが可能なのだ、というのを間近で目撃してしまったのです。自分も時々載せるくらいできるはずだ、とメンタルバリアが外れたように思います。
そして、その時々に自分の最高のパフォーマンスを出し切ったと思う論文原稿を投稿して、即刻Rejectをくらう、という経験も非常に大事だと思います。ここまで頑張ってもEditor rejectionなのか!!と衝撃を受けると同時に、自分の努力の仕方はそもそもベクトルが根本的に間違っているんじゃないか?と考えるようになります。そこから自分の分野でNatureレベルに載っている論文を読むと、これまでとは違った視点で色々気づきがあります(Title, abstractの表現方法とか)。
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